<3月6日は柔整国試!>自分自身を振り返ってみた

杉本

皆様お世話になっております。
株式会社ENTAMEDICALの杉本です。

さて今日は柔整の国家試験でしたね。
すっかり投稿が遅れてしまったので「受験する皆さん頑張ってください!!」的なブログではないのですが
①専門学校時代のこと
②自分が国家試験を受けた時のこと

この二つについて書いていければと思います。
では早速行ってみましょう🙌

もくじ

専門学生時代〜入学の決め手〜

22歳の時、明治国際医療大学(旧明治鍼灸大学)を卒業して地元静岡に戻ってきました。僕は静岡医療学園専門学校(以降シズイ)の柔道整復師学科の夜間部に進むことになりました。

実はここに決めたことにもご縁があって、シズイの事務長が父親の高校時代の教え子だったことからなんです。大学四年の夏に見学にいき、お話を伺いました。また就職先の斡旋もして頂きました。(僕の就活はこの1回しかしていません)

もう面接の時点で「4月に待ってるよ!」的なお話しをいただきなんだかよくしていただきました笑

専門学校時代〜学生時代〜

一言で言うなら専門学校時代は「ハードだった」です。
僕は鍼灸師の資格を持っていたので大学のシラバスを提出して免除できる科目は免除しました。
半期で10単位(2コマ✖️5日)なので60単位なのですが僕は半分くらいしか受講せずにいたわけです。

1年の時は基礎科目が多いのでクラスメートからは「杉本は全然学校に来ない」「あいつばっかずるい!!」という声がありました。

この意見に対して僕は正直めちゃくちゃドライに考えていていました。

仕事がメインで資格を取りに行くことしか考えておらず、出なくて良い学校行事には一切出ずに、1年の頃から国試の問題を解いていてこっちは国試合格を見据えて動いているんだ!!学校楽しみに言ってるじゃないんだよ!!と。笑

そして「ずるい!」という声に対しては「4年前からこっちはこの業界で頑張ってるのに何様ですか?」くらいの気持ちでいました。本当、嫌な奴ですね笑

この頃には逆算思考が癖付いていましたからね。

というわけで1年の時は最低限しか学校にいかず、クラスメートとも馴れ合うような事もせず仕事が中心の生活をしていました。
授業が18:00-19:30、19:40-21:10だったので一限からの日は16:00まで仕事、二限からの日は18:00まで仕事をして学校に行っていました。電車の関係もあって家に帰ってくるのは22時前。そこから夕食を食べて1時過ぎには寝る、といった生活をしていました。

僕の職場は昔ながらの丁稚奉公スタイルだったのでまじで薄給でした。良い思い出かどうかはこのnoteを読んでもらうとして、金額的にも体力的にもともかくハードな3年間だったのです。

国試に向けて

3年生になると卒業試験があります。大体どこも筆記と実技試験といったところでしょう。
うちの学校では筆記テストが全3回あり、3回中1回でも合格すれば国試を受ける為の資格を得ることが出来ます。

ところがどっこい。
なんと杉本はその1回目の筆記テストに見事に落ちるのです。

嘘だろ!!必修1点足りずで不合格

もうこれはマジで凹みました。
僕らの時代の柔整国試は30点中24点以上(8割)を取らないと一般問題で満点をとっても不合格になる「必修問題」と言うものがありました。それを見事に23点でやらかしたっちゅー話でございます。(当時は全230問のうち前半30問が必修、後半200問が一般問題で合計点が 割をこえていれば合格というものでした)

僕はこういうテスト系は「受かれば良いや」ってスタンスでいます。

「何点(何割)以上で合格」だったら+1割の得点で合格する努力量が最強にコスパがいいと思っていました(それでも懲りずに今でも思っています笑)
そしてこの最低限の努力量を見誤り見事に撃沈。(因みに受ける教科が少ないので当時の僕は結構クラスの中では得点上位組だったのです)
まあ出てくる問題は過去問や授業でやったことを中心に出るんですが出ていない授業の問題が結構あって「こんなの知らねーー!!」っていうのがあったんですね(言い訳です😂)

まあそんなことをやらかしたもんだからクラスメートからは
「あれーー杉本くぅん!?学校来ないからだよぉぉ」
ボコボコにいじられ卒試受からなかった組としての烙印を押されることになります。

僕はこの出来事が悔しすぎてその日から2回目の卒試の日まで死に物狂いで勉強をするようになります。
Eくんとはシズイで同級生だったんですが、そのEくんを僕が働いている職場にスカウトした過去がありました。

そしてそのEくんは受かり僕が落ちたものだから院長から毎日毎日この事をネタにされて発狂しそうになっていました。(このいじり期間が2回目の卒試までほぼ続きます…)

「あれぇ杉本くんが勉強しなくて良いの???Eくんは合格したからそこで休んでいればいいよぉ」と。

僕はね、こう言うの絶対忘れないし絶対許さない根に持つタイプです笑

いじられキャラだったし、当時の僕は表面上は「頑張りますぅ」とかいって笑顔でいましたがマジで悔しかった思いをしました。それがあったから死に物狂いで勉強に打ち込めたんですけどね。

やられた、じゃない。お前が見誤ったんだ。

この頃は22時に帰宅、23時までに食事と風呂を済ませて2時まで勉強。6:30に起床するリズムなら4時間半睡眠で目覚めが良く起きることが出来ます。(レム睡眠とノンレム睡眠をうまく使った睡眠方法ですね)

そして追い込み過ぎた結果、駅のホームで電車が来たのにも気付かず勉強を続けて数回遅刻した事があります。笑 電車内で寝過ごした事も数回あります。笑

本当に追い込まれていましたが、2度目の卒試は努力の甲斐あって無事パスすることが出来ました。最低限の努力量をはき違えると代償がでかいです。なのでこの方法はオススメできません。僕みたいなタイプの人は自己責任でどうぞ笑

国試までラストスパート

卒試に合格した後も基本的には4時間睡眠のリズムを継続しました。ただ、鍼灸国試編と一緒で息抜きはちゃんとしていました。

①土日のバスケからのサウナ
②週一の飲み会

これがあったからなんとかやれていました。
バスケは疲れるけど目一杯体を動かすし、大きな声を出したりも大きな声で笑ったりするのでうまくリラックスできていたんだと思います。
練習が19:30-21:00で終わったら閉店までサウナ。笑

今考えると夢のような生活です😂
また飲み会でも当時は2時3時まで飲んだりカラオケいったりと好き放題していました。
誰かの家に泊まって、起きたらパチンコ行って昼ごはん食べて流れ解散して勉強
こういうオンオフがちゃんとしていたから継続できたんだと思います。

最終的には230点満点の国試も合計で200点は手堅く超えるようになり、必修も1、2問間違える程度。ただこうなるともう上を目指さなくなります
そう、それが杉本と言う人間なのです。

国試前夜

とりあえずその日は土曜日の午後の仕事を終え、会場である名古屋に向かいました。
(同級生達はバスで移動済み。僕はEくん仕事を終え近くの神社で必勝祈願をしてから新幹線で向かいました)
そして鍼灸国試編と同様で僕は飲みに行きます。笑

ただシズイの同期は真面目な人が多く(社会人が多かったのもあるかもしれません)
ラーメン食べながら軽ーく1杯飲んだ程度。そして解散!!

という事で物足りない杉本はコンビニでしこたまツマミとお酒を買い込んで晩酌を始めます。

ここで大学の同期で同じように柔整の専門に通う友達達と電話しながら励ましって言うか「明日がんばろーぜ」的な事を何人ともやりとりしました。そしていい感じで酔っ払ってきた時にふと必修問題のみのプリントがあったのを思い出します。

当時歯科医の先生が国試対策をしてくれていたんですがその先生が作る必修問題って結構重箱の隅をつつく系で26点位が良いところで「これのどこが必修だ!!」って文句を言いながら解いていたんです。

で、「最後にみんなにプレゼント」って言ってくれたのがその必修プリント集。
新作が5、6枚あったんですがそれをやることに。

そしたらまあ解ける解ける大体満点

「勝った…」

絶対こういう顔してました。

杉本は勝ちを確信したのです。
(いま思えば試験前に良い気分で国試受けれるように絶対難易度落としたんだと思います笑 僕は当時そんなことは1ミリも思わず、前日に完全に仕上がったと思い込んでいました。
痛い奴です笑)
そして当日を迎えます。

国試当日

僕は朝から定番の験担ぎカツ丼!!と行きたかったのですが、この日は専門のみんなで一緒のホテルを学校がとってくれていたので朝食ビュッフェ。(なのでカツ丼は昼に持ち越し
ビュッフェと聞くと死ぬほど食べるのが杉本です。

当時の杉本はなるべく元をとってやろうと躍起。朝から食没クラスに食べました。

周りは緊張からかあんまり食欲なさそうな方も多くここでも杉本は優位性を感じます。

みんなははじめての国試で結構ガチガチでした。僕は2回目と言う事もあり結構リラックス出来ていたし、同じ名古屋会場で受ける大学同期もいてかなり遠足気分になっていました。

なのですごーーくフワフワした状態で会場にはいり余裕ぶっこいて過ごしていました。

試験問題を配るあのよく分からない時間も周囲の人の人間観察をしながらボーーっとしていました。そして試験開始

…僕は必修1問目で面食らいます。
(え…なにこれ。こんな問題知らないけど😇)
「おっふ。」

おっふ。

頭が真っ白になります。余裕ぶっこき過ぎた、と。
もう半泣きで、カツ丼を食べなかったせいにしようかと思った刹那、国試のテクニックを思い出します

「分からない問題は後回しにしろ」そうこれが鉄則なんです。
それを思い出した杉本は我にかえり再び問題を解き始めます。

そして午前が終わり必修の所だけ確認をしました。
(午前の問題確認せず午後の教科の勉強する、が鉄則です。掟を破りました。だって不安だっただもん。必修は気になるんだもの。という事でお許しください)

必修が安全圏内だったことが分かったので安心感から午後はなんなくクリア
学校の外で速報が配られているので新幹線の中でビール飲みながら同級生達と採点
そしてハイタッチをして労を労い合いました。
この頃にはすっかり同級生達とも仲良し。笑

当たり前のことですけど3年生になってからは学校に行かなきゃいけない日が増えたのでちゃんとコミュニケーションを取るようになって同級生達の良さを知り本当にいい時間になっていました。

鍼灸と柔整の国試の違い

鍼灸の国試の時と圧倒的に違ったのは生活リズムです。

鍼灸の時はラスト3ヶ月をバイトも全部辞め、勉強だけに打ち込む環境があったので勉強だけしていればいい状況でした。

ただ柔整の時は仕事を休む事は出来ず、睡眠時間を削るしか勉強時間の確保が出来ませんでした。そして年齢的にも21歳と25歳では体力面でかなりの差があったように思います。

大学時代は週9で飲んでいたので(金曜の夜からのむ→土曜の朝起きたら飲む→土曜の夜に飲む、→日曜の朝に飲む→日曜の夜に飲むで週9回が達成できます笑 大学のことはこれで良く宅飲みしてそのまま寝落ちてまた飲む繰り返しでした笑)
親元離れて授業も一緒、プライベートも一緒だからそりゃ仲良くもなります。

人生で一番仲良くなってお互いの事を知ってるのは大学同期だと思います。
本当にいい仲間達に恵まれました。

最高の大学同期。

また、必修の有無はプレッシャー面でかなりきつかった気がします。
鍼灸でははり理論、きゅう理論と分れていて当時は確か両方10問中で6問以上正解じゃないと片方の資格だけになってしまうと思いました。
それも結構ヒリヒリしたんですが、やっぱり柔整の必修のプレッシャーのほうが厳しいです。

そしていまは試験精度も変わり必修が50問になっているそうです。
僕からすると30点中の8割で24点⇨6問しかミスれない
50点中の8割⇨10問もミスれる

みたいに感じてしまったのですが実際どうなんでしょうね?
母数も増えてるからしんどいのには変わりないか😂

ともかく受験された方はお疲れ様でした!!
今はゆっくりと休んで好きなことやってください☺️

そして受験経験がある方がはどうだったでしょうか?
なんか懐かしさとともにオエっとくる感覚は思い出せましたか?笑

さいごに

杉本

いかがだったでしょうか?

僕は基本的にはこんな感じで国試というものと向き合ってきました。王道かどうかはご判断にお任せします笑

たぶん真似しないほうがいいと思います🤣

ではまた!

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